駄目でイタい自分である時間と感情の受容

誰にでもダメダメでイターい一面ってありますよね。

私の場合、赤ちゃん言葉。自宅限定で頻繁に使っているのです。

他人から見たらほぼ間違いなく「うわっ、なんじゃコイツ」とイタい奴認定されるような言動ですよね。

けれどこの「赤ちゃん言葉を使うイタい自分」である時間を過ごしていけばいくほど、自分の感情を自然と受け入れられるようになっていたのです。

そのことに気付いてからというもの、駄目だったりイタい自分を前面に出す時間の必要性を強く感じるようになりました。

 

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イタい自分が目覚めたきっかけ

2018年が始まった辺りでしょうか。友人の子供と度々接していく内に影響をかなり色濃く受けまして、自宅内では赤ちゃん言葉を多用するようになったんです。

「おいちい」とかそんな感じのアレです。

最初は子供との会話中にマネをする時にしか使ってなかったんですよ。

そうやって赤ちゃん言葉を使い始めていくと、次第に抵抗がなくなっていくばかりか「響きがかわいいし声を発していて楽しいなぁ~。なんか面白いしもっと喋りてぇ~。」と思うようになり、どんどん使う回数が増えていきました。

感情をそのまま受け取っている自分に気付く

声を発することそのものが楽しいものですから、家の中で「うれちい~」「や~だぁ~!」とか言って遊んでいたのですね。

隙あらば赤ちゃん言葉を使う生活を続けていたら、当たり前のごとく悪ふざけを始めて、全身を大げさに動かしながら冗談めかして感情を表現することにハマりだしたんですよ。

そんなことをしていると「かなちい~」「こわい~」というように使う言葉のバリエーションも豊富になっていきまして、いつの間にかしれっと自分の感情を素直に受け入れていることに気付きました。

本人的には面白おかしく遊んでいただけなのにね。

おそらく「冗談めかした表現」と「バリエーションの増加」が感情を受け入れるのポイントだったのだと思っています。

というのも、私は「楽しい」という気持ち以外を自覚・表現するのが苦手で、自他問わずネガティブな感情というものを察知すると「自分に問題がある、自分が悪い」と認識しやすく、なにかと人から嫌がられない感情のみしか出さないようにする傾向があるのです。

だから普通にしてると感情を抑えがちなのですが、赤ちゃん言葉を使って冗談っぽく振る舞うことで、様々な感情をいい意味で軽く出すことができる。

それに加え、赤ちゃん言葉というフィルターを通して子供に対して抱いている「自然な感情の発露」というイメージの力を借りている面もあると思います。

ただ嬉しいからはしゃぎ、ただ嫌だから「ヤダー!」と全力で嫌がる子供のような自分と、それを「お~、よかったねぇ。」とか「嫌なのか~、そうかそうか~。」とナチュラルに受け取る自分を再現するハードルをうまいこと下げていたのですね。

自分にOKを出す時間を持つことは必須

自宅限定とはいえ、赤ちゃん言葉を日常的に使う成人なんて子供っぽいを通り越してもはやイタいです。あまり褒められたものではないでしょう。

しかしそんな一般的には駄目でイタい、認められないような行為を通して、私は良い影響をたくさん受けていると自覚しています。

自分の感じていることにNGを出すことや誤魔化そうとすることが減ったとか、今何を感じたのかをリアルタイムで人に伝えられるようになってきたとか。

そうして感情を何とか抑え込んでやり過ごすためにエネルギーを回さなくて済むようになると、自分にとって必要なことを考える余裕ができたり、行動に移すこともできるようになったりと、多少ではありますが自分で自分のお世話ができるようになってきました。

言葉遣いがマトモな時よりもむしろしっかりし始めたのですね。

駄目・イタい行動をするということは、自分のあんまりよろしくない部分を受け入れるということでもあります。

こういった経験を増やすことで自分に対しての許容範囲が広がっていくのでしょう。

世間的には認められないような自分でいられる時間を確保しておくことは、生きていく上で欠かせないものとなりそうです。

 

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